第1章 序にかえて―オーボエ、そのかけがえのない魅力の世界

「これを聴きに来ないなんて、もったいない話だ!」

 そんなひとり言を思わずつぶやいている自分に気がついた……。
“オーボエ雑学”と題したコーナーの最初のコラムから、いきなり私事を書きつけるのをお許しください。時が経つのは速いもので、これは今から9年前の秋、軽井沢での出来事です。筆者はSony Music Foundationの主催する、第8回国際オーボエ・コンクールを取材に訪れて、第1次予選から本選に至るまで、すべての演奏を耳にしました。そのレベルの高さは心底驚きを誘うに十分。技術的にも音楽的にも「今の若い人たちはここまで上手くなっているのか!?」というのが率直な感想でした。

 このコンクールが発足したそもそものきっかけは、ソニー株式会社の大賀典雄社長が(2011年に逝去されました。肩書きはコンクール発足当時のもの)、若き日のベルリン留学時代に接したオーケストラの演奏で、特にオーボエの音から深い感銘を受けたことだと聞き及んでいます。「この楽器の真価を世に広めなければならない」という大賀氏の積年の思いが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者をつとめていたハンスイェルク・シェレンベルガー(第1回からの審査員で、第4回以降は審査委員長)との出会いも得て、素晴らしいイベントとして結実を見ました。そのシェレンベルガーに代表されるオーケストラのトップ・プレーヤーや、ソリストとして国際的な評価を獲得した人物の草分けにあたるハインツ・ホリガーといった名手たちが切り開いてきた道と、彼らの到達した地平が、今日のオーボエ奏者の指針となっている。そしてその地平に足を踏み入れんとする若者たちが、日本で開催されるコンクールにこぞってエントリーしている。それはまるでオリンピックや世界選手権のメダルに匹敵するビッグ・タイトルをめざす態度にも等しく映る……。と、そんな思いを強くせずにはいられません。言い換えれば、そこまでのステイタスの高さを世界に認められたコンクールにふさわしい演奏に次々と出会えたのが、つまりは2006年10月の軽井沢における出来事。

「葦笛」が喚起する豊かなイメージ

 オーボエは辞書的に説明すれば「ダブルリード属の高音楽器」にあたります。葦を材料とする2枚のリードを表面と裏面に組み合わせる形で加工し、それを唇にはさんで息を吹き込むのですが、初心者にとってはこのリードを操って安定した音が出せるまでが一苦労。リードを自分で作る技術もプロ・アマチュアを問わずオーボエ奏者には不可欠で、その作業工程と調製に要する時間と手間も、彼らにとっては少なからぬ負担となります。そんな事情も手伝い、ギネスブックから「世界で一番演奏の難しい木管楽器」に認定されるという栄誉(?)までオーボエは獲得してしまいました。しかしその難しい楽器をひとたび吹きこなしたときに生まれる音色の、何とまあ魅惑的なこと!

 古代ギリシャの時代から存在する葦笛こそはオーボエという楽器の原点。そのイメージを現代に伝える、素朴で牧歌的で野を渡る風のごとき響きは、他の管楽器に求め難いものです。哀愁の情を誘ったり、郷愁の念を呼び起こしたりするのもオーボエの得意技。ときにはエロティックなまでの色気も発散し、一転してユーモラスにもふるまえる。以上の形容にピッタリな作品の例を、今回のコンクールの課題曲に沿って列挙していきたいほどですが、それは別の機会に譲るとしましょう(会場の大賀ホールで実際に耳を傾けていただければ話が早いですね!)。

心をじかに揺さぶる音の存在感

 こうした表現力の幅にも増して印象に残るのは、演奏者の感情の動きを託した「歌心」を、じかに聴き手のハートまで運んでくるようなサウンド。その存在感と説得力の大きさです。長時間接していても耳が麻痺するどころか、ずっと浸っていたいと思わせる何かが、オーボエの音には備わっている。それこそ第1次予選から本選までの全演奏に接して、なお新鮮な気分でいられるような(2006年のコンクールの記憶も鮮やかに蘇ってきます。しみじみと胸に迫るメロディーを満載したリヒャルト・シュトラウスの協奏曲などは、第2次予選進出者14人の演奏が終わっても、さらに聴き続けていたいと感じたほど……)。

 その「何か」の秘密に迫るなどというのは、とても筆者の手に余ることですが、今後更新されていく“オーボエ雑学”のコーナーでは、この楽器を少しでも身近に感じていただけるような話題を取り上げながら、コンクールへの期待感をひときわ増していただけるようなページ作りにいそしみたいと思います。どうかお楽しみに。

木幡一誠(Issay KOHATA)
音楽ライター。1987年より管楽器専門誌「パイパーズ」で取材・執筆にあたり、現在は各種音楽誌のインタビュー記事、CDやコンサートの曲目解説執筆およびレビュー、さらには翻訳と幅広く活動中。